マスク観察

新型肺炎SARSが流行したころを香港で過ごしていた人は、今ではかなり減ってしまったことだろう。当時、香港はまるで病窟のように思われ、香港から日本への帰国を止めさせられたり、やむを得ない場合は帰国後10日間の自宅待機が命じられたりしたものだ。持病の検査で帰国した人は、マスクをして病院の裏口から院内に入るように指示されたという。多くの人が理不尽な扱いを受け、不愉快にさせられたものだ。日本のテレビでは、「悲惨さが伝わる映像」が好んで報道に使われていたため、実際に香港に住んで生活している者と、日本でかたちづくられたイメージとのギャップが大きく、それが仕事はもちろんのこと、プライベートにまで影響したものだった。

さて、今度は豚由来の新型インフルエンザだ。あれよあれよという間に世界第4位の患者数を記録した日本。「厳格な」検疫を実施していたはずなのにいつの間にかウイルスは国内に侵入していた。国内で疑い例にあげる条件として、海外渡航歴があることが条件だったので、国内感染事例を逃してしまい、これが感染拡大につながった大きな理由だという報道に驚き、呆れてしまった。今や日本が「危険な国」になり、SARSの時とは立場が完全に逆転してしまった。

そんな日本の状況を自分の目で観察する機会を得た。身内の結婚式で帰国し、東京、横浜で過ごしたが、移動中にさまざまなマスク姿を観察することができた。今回は医療情報ではないが、マスクがどのように使われているのかを報告したい。

まずは、香港から成田に向う機内。満席の機内には思っていたほどマスク姿はいない。それでも日本人と思われる乗客が、5人に一人くらいの割合でマスクを着用して搭乗している。それでも全体からすればごく少数派だ。搭乗前に早速マスクをつける姿も何人か目にしたが、離陸後、飲物が運ばれてきたら隣の日本人はマスクをはずして飲んで、そして飲み終わったらまたマスクをした。次に食事だ。やはりマスクをはずして食事している。そして、食後にまた同じマスクをつけている。マスクを触っているその手にウイルスがべっとり付いているかもしれない。手が最も汚い部分だという認識はなさそうだ。もしマスクの内側、つまり口が当たる部分に触れたら、もう感染の可能性は十分考えられる。

SARSの時に飛行機に乗ったが、あの時の台湾の航空会社は非常に厳しかった。マスクは強制着用。しかも機内食は出てこない。代わりに配られたのはカステラとペットボトルの水。機内では食べないようにとの注意もあり、乗客はほとんど話もせずにただじっと座っていた。ちょっと不気味だったが、機内ではマスクを外させないようにしていたのだ。

東京についた翌日、薬局では早くもマスクが売り切れ。入荷したら5分で完売ということも珍しくなかったようだ。どうやら前日東京で感染者が見つかったことから、慌ててマスクを買いに走ったのだろう。これじゃあ、まるで石油危機の時のトイレットペーパー騒ぎだ。テレビをつけると、マスクが手に入らないのなら自分で作ろうということで、専門家の指導のもと、キッチンペーパーを使ったマスクづくりが紹介されていた。そこまでする人はいないよ、と思いながら見ていたが、翌日、横浜への移動中の電車内で手製のマスクを見る機会を得た。目の前の子供がガーゼマスクをしている。ガーゼマスクで間に合わせたんだと思って親を見ると、なんと自家製のマスクをしているではないか。まさかとは思いながらもじっくり観察してしまった。父親のマスクは布製。たぶん奥さんが縫ったのだと思うが、耳にかけるのはゴムではなく、ただの木綿糸だった。もちろんブカブカで「マスク」は完全に浮いてしまい、下を向くともはや隙間ではなく、マスクは顔面から離れてしまっている。症状がある感染者なら周囲に感染を広げないために、これでも効果が期待できると思うが、自分の感染予防ということであれば、効果はまったくゼロだ。ガーゼマスクの子供は、気になるのかしきりにマスクを触っていた。その手が汚いんだけどなあ・・・。

東京の山手線内。向かいの7人掛けにマスク姿が3人。一人は不完全装着。顔にフィットしていないので、マスクをする意味なし。別の女性は、きっちり着けている。これなら大丈夫だと思った矢先のこと、彼女はマスクをはずしてハンカチで汗をぬぐっている。東京はこの日、30度近くまで気温が上がってとても暑く、マスクをしているとかなり汗をかくことは間違いない。しかしその汗をぬぐうハンカチ。
手洗いせずに触れているそのハンカチもたぶん「汚染」されている。このようにマスクをはずして汗をぬぐう姿は、この日とても良く目にしたが、これもマスクをしている意味がなくなる行為だ。もう一人は、化粧が崩れるのを嫌ってか、ふわっと着用している。これでは意味がない。鼻の脇、頬、そしてあごにも隙間ができている。感染しないためにマスクをしていると本人は思っているのだろうが、やはりマスクの意味がない。この「ふわっと着用」は女性ではとても目立った。

夜、ホテル近くをブラブラして、食事できるところを探していた時のこと。大学生くらいのカップルが目に入った。男性はマスクをしていて、マスクをしていない女性にマスクを着けてあげていた。これから地下鉄に乗るらしいので、そこでマスクをつけるのは問題ない。しかし、しかしだ。二人はマスク越しにキスしている。おいおいおい、それはないだろうが。思わず声を上げそうになってしまったが、とても滑稽な光景だ。誤解がないように言い訳しておくが、一連の光景は5秒くらいのごく短い間の出来事で、別に好んでそのカップルをじっと観察していたわけではない。

マスクの着用は、感染者からの病原体が周囲に飛び散って感染を拡大させないことが最も大きな目的であるはずだ。自分自身が感染を逃れるための道具として過大に期待してはいけない。「した方がまし」と考えていて十分だ。今は用途を勘違いし、マスクさえつけていれば感染を免れると思って一生懸命マスクをつけているのが現状のようだ。

幸いH1N1新型ウイルスは弱毒型で、通常の季節性インフルエンザと同等のものだとする専門家意見が大勢を占めている。今回は予行演習と思っていても良いだろう。次に来るであろう本当に怖いH5N1型インフルエンザはまだ人類にどんな被害をもたらすのかわからない。それに備えて正しい「感染予防策」を身につけておきたいものだ。